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【有森也実】アンチ急増の理由は何だった?カミソリで脅された過去も?

今回は、有森也実がアンチが急増しすぎて手紙の中にカミソリなどが入っているという事が世間やネットで話題になっていますので、そのことについてやっていきましょう!

 

  • 有森也実アンチ急増の理由は何だった?
  • カミソリで脅された過去も?
  • 有森也実の世間の声をチェック!

 

この3点を中心に話をしていきます!

 

ではやっていきましょう!

 

有森也実アンチ急増の理由は何だった?カミソリで脅された過去も?

 

1986年、山田洋次監督の映画『キネマの天地』のヒロインに抜てきされ、日本アカデミー賞新人俳優賞をはじめ多くの映画賞を受賞し、一躍注目を集めた有森也実さん。

 

1991年には伝説のドラマ『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)で、カンチ織田裕二)とリカ(鈴木保奈美)の恋を邪魔する関口さとみを演じ、アンチさとみが急増。事務所にはカミソリ入りの手紙が届いたこともあったという。 その後、清純派のイメージを打破すべく過激な役柄にも意欲的に挑戦。

 

 

2002年、映画『新・仁義の墓場』(三池崇史監督)でヤクザの情婦で覚せい剤中毒者、2017年には4時間超の映画『いぬむこいり』(片嶋一貴監督)で大胆な濡れ場や全裸シーンにも挑み、新境地を開拓。2020年にデビュー以来37年間在籍した事務所を離れて独立した。

 

アンチ急増の理由は何だった?

映画『キネマの天地』で注目を集め、ドラマ・映画に出演するようになった有森さんは、1991年、放送日の夜には若い女性が街から消えると言われた人気ドラマ『東京ラブストーリー』に出演することに。

 

このドラマは自由奔放な性格の赤名リカ(鈴木保奈美)、真っすぐな性格のカンチこと永尾完治(織田裕二)、遊び人のモテ男・三上健一(江口洋介)、カンチと三上の高校の同級生の関口さとみ(有森也実)の4人が、恋やさまざまな経験をして成長していく姿を描いたもの。

リカの「カンチ、セックスしよう!」というセリフも話題を集めた。

 

有森さん演じるさとみは、男性の後を3歩下がって歩くような古風なタイプだが、カンチが自分のことを好きだと知りながら三上と関係をもち、リカとカンチの恋が成就しようというときにリカからカンチを奪ってしまうという魔性の女。

ドラマの人気が高まると同時に“アンチさとみ”が急増した。

 

-世の女性を敵に回したという感じでしたが、あのドラマが決まったときはどうでした?-

「それはもううれしかったですよね。

ただ、やっている当初はこんなに時を超えて話題になるような作品になるとは誰も思っていませんでした。

でも、ちょうど働く女性が注目されるようになった時代だったので、ドラマはキャリアウーマンのリカの目線で作られていて、みんながリカを応援したくなるのはよくわかりました」

 

 

-かなり反響があったと思いますが-

「そうですね。でも、その頃はネットとかも全然なかったし、そこまでイヤな女だと思われているという認識はなかったですね。まったくなかったです(笑)。

友だちから『也実があんなに憎たらしいと思ったのははじめて』と言われたのはちょっとびっくりしたけど、役と私は別人格だから別に深く考えませんでした(笑)。

だからこの10年ぐらいじゃないですか。『そうだったの? みんな私のことが嫌いだったの?』ってわかったのは(笑)」

 

-事務所にはカミソリ入りの手紙が届いたとか-

「はい。それは、『有森也実ムカつく』とかいうよりも関口さとみに対してで、『リカとカンチの恋を邪魔しないで』みたいな感じで。

ファンレターなどは事務所のスタッフが全部整理してくれていましたので、カミソリ入りの手紙は私の手元に届きませんでした。

あの時代は歌手、タレントや俳優にカミソリ入りの手紙を送るというのが結構あったんですよね。読んでみたかったですけど(笑)」

 

-あの時代特有のすれ違いが描かれていましたね。今だったらスマホもあるのですれ違うこともなく-

「そうですよね。当時は公衆電話やポケベルですからもどかしくてね(笑)。

家に帰って留守番電話のメッセージを聞いてはじめて事態がわかるという感じだったし、それですれ違いも…。切なかったですよね」

 

-さとみは女性には嫌われていましたが、男性には人気がありました。良妻賢母という感じで-

「そうですか。そういうのもあったから余計女性が『キーッ』となったんでしょうね(笑)。

でも私はヒール役、悪役のほうが好きなんですよね。

だからヒール役のドラマティックさのほうが演じていて楽しかったし、合っていたんじゃないですか(笑)」 古風なイメージがついて難しかった時代もあったというが、バラエティ番組での秘境体験や過激な役柄にも意欲的に挑戦し、新境地を開拓してきた有森さん。

次回は映画『新・仁義の墓場』の撮影裏話、アフリカの秘境でハリネズミやカブトムシの幼虫まで食べたバラエティ番組での過酷な撮影エピソードも紹介。(津島令子)

 

 

神奈川県で生まれ育った有森さん。

 

小さい頃はとても静かな子どもで、心配した母親が寝ているベッドのところへ息をしているのを確認しに来たくらいだったという。

「母があまりに静かなので、生きているのか死んでいるのか心配になったと言っていました(笑)。

5歳からクラシックバレエは習っていたのですが、活発になったのは小学校3年生の担任の先生が柔道をやっていて、美しく、優しく、そしてカッコよくて憧れました。その先生の影響を受けて活発になりました。

 

でも、中学に入ったら校則が厳しかったり、『積み木くずし』みたいな校内暴力真っ盛りの時代で」

 

-荒れている生徒たちもいました?-

「いっぱいいました。だけど、ただルールで縛りつける校則に意味はないなと思いながらも自分は何もできないので、静かにしているみたいなタイプの子だったんです。

クラシックバレエをずっとやっていてバレエダンサーになるのが夢でしたけど、プロになるのは難しいし実力もなかった。

家庭環境もそういう環境ではなかったですしね。

それで、中学3年生になってちょうど進路を考えるときに、大好きな『mc Sister』という婦人画報社(現・ハースト婦人画報社)の雑誌のモデル募集があったので、編集部をちょっと見てみたいという軽い気持ちで応募したら受かってしまって。

それで、『スペースクラフト』という事務所にお世話になることになったんですけど、1年間『mc Sister』の専属モデルをやって、少しずつコマーシャルとか芸能のほうに移行していったという感じです」

 

 

-社長さんの一言で女優にということになったそうですね-

「そうです。『有森は背も低いし、モデル向きではないから女優をやらせよう』って。そういう意味では社長に先見の明があったというか、私の隠れた魅力みたいなのを見つけてくださったんじゃないかなと思います」

 

-ご家族には反対されませんでした?-

「父は反対でしたけど、母は華やかなことが好きだったので応援してくれました。そもそも受かると思ってなかったので、父に相談してなかったんですけどね。

そうこうしている間に佐賀で宮司をしていた祖父が亡くなったので、宮司の資格をもっていた父が佐賀に帰ることになったんです。

それで、母は私と残って、バラバラに生活をすることになりました」 ※有森也実プロフィル 1967年12月10日生まれ。神奈川県出身。

15歳のときに『mc Sister』の専属モデルに。

1986年、映画『星空のむこうの国』(小中和哉監督)で映画主演デビュー。

同年、映画『キネマの天地』のヒロインに抜てきされ、第10回日本アカデミー賞新人俳優賞、第29回ブルーリボン賞新人賞を受賞。

1991年、社会現象となったドラマ『東京ラブストーリー』に出演。連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』(NHK)、映画『小森生活向上クラブ』(片嶋一貴監督)、映画『チーム・バチスタFINAL ケルベロスの肖像』(星野和成監督)、舞台『頭痛 肩こり 樋口一葉』など多くのドラマ・映画・舞台・CMに出演。『NHK 短歌』(NHK)では毎月第3日曜日に司会を担当するなど幅広い分野で活躍中

女優だとこういった演技でアンチを作りかねないですね。

 

カミソリで脅された過去も?

雑誌の専属モデルを1年間務めた後、女優に転身した有森さん。

 

西田敏行さん主演のドラマ『泣いてたまるか』(TBS系)、主演映画『星空のむこうの国』をはじめ、順調に歩みだす。

そして映画『キネマの天地』のヒロイン役に抜てきされ注目を集めることに。

 

-女優デビューしてすぐに『キネマの天地』のヒロインに急遽決まるわけですが、実際にはどのように?-

「本当に急遽という感じでした。

主役の女優さんがクランクイン直前に降板されたので代役の女優を探していて、山田洋次監督の助監督をずっとなさっていて、『釣りバカ日誌』シリーズなどを撮っていた栗山富夫監督が私を推薦してくださったみたいです。

栗山監督が撮ってらした西田敏行さん主演のドラマ『泣いてたまるか』で私は西田さんの娘役だったので、『こういう若い女優がいるけど、ちょっと見てみませんか』という感じだったのではないでしょうか。

それで、一度松竹へ山田洋次監督にごあいさつに行って、30分くらいお話をして面接して決まっちゃったので、本当にあれよあれよという間に…という感じだったんです。

その場で台本をいただいて、その2日後にはもう撮影所に行って衣装合わせをしてカメラテストをやってという感じで、わけがわからないままどんどん進んでいく。

本当に劇中の田中小春みたいな感じでした(笑)」 『キネマの天地』で有森さんが演じる田中小春は、浅草の活動小屋で売り子をしていたところ、松竹キネマの監督に見出され女優にスカウトされる。

しかし、素人の小春にうまく演じられるわけがなく、怒鳴られてばかりで一度は女優になることをあきらめかけるが、大作映画の主演に抜てきされさまざまな経験をしながらスター女優になっていく。

 

-田中小春が有森さんとオーバーラップしましたが、撮影はいかがでした?-

「大変だったと思います(笑)。

私はそんなに経験がないから、こういうものなんだろうなとしか思わなかったんですけど、あまりにも私ができなくて、本当に劇中劇にあったように、半日撮影が止まっちゃったりしたこともありました。

たらいで洗濯をしている姿があまりサマになってないと言われて、午前中いっぱいずっとたらいで洗濯の練習をして、だいぶなじんできたなというところで撮影をはじめようということになったり…。今思うと贅沢ですよね」

 

-大作のヒロインということで周囲の状況もガラッと変わったと思いますが-

「母が『記者発表に行ってきます』と言って行ったときの顔と、終えて『ただいま』って帰って来たときの顔が全然違っていたと言っていました。

記者発表の後、取材とかいろいろあるじゃないですか。

そういうことを経験して1日で顔が変わったとビックリしていました。自分ではまったくわからなかったんですけど、すごいですよね(笑)」

 

-まだ10代で山田組のヒロイン、すごい経験ですよね-

「恐ろしいですよ、今考えると(笑)。何も知らなかったからできたんだなと思います」

 

-現場での山田監督はどんな感じでした?-

「怒鳴ったりはしないけど、黙って止まり広いセットがシーンとしてしまって。

撮影の高羽(哲夫)さんとコソコソッと話して、『じゃあ、ちょっと何かやってみて』とか、『右手をおろしてみて』とか、どうやったらこの子はそのように見えるのかなという感じで指導してくださっていました」

 

-撮影で印象に残っていることは?-

「田中健さんが演じられた2枚目の役者さんからデートに誘われた波止場のシーンで、『僕の顔さえ映っていればいいんだよ、観客は』と言われた後、私がちょっと大人っぽいことを言うんですけど、その言い方がおかしかったみたいで、監督が笑ってくださったんですよね。

『これでお客さんが笑ってくれたら成功だね』とおっしゃってくださったので、それが私はすごくうれしくて、それでフッと力が抜けたというか…。

あのシーンでちょっと心が解けたという感じがしました」

 

-いろいろな新人賞も受賞されました-

「新人賞はそのときしか獲れない賞なので、本当にうれしかったです」

 

功績もすべてが流石という領域です。

 

有森也実の世間の声をチェック!

 

かなりの支持が今でもあるようです!

 

有森也実アンチ急増の理由は何だった?カミソリで脅された過去も?まとめ!

  • 演技がうますぎてアンチを作ってしまった。
  • ネットのない時代だったのでそこでも影響はなかった。
  • 今後の活躍にも期待!

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