流行語大賞2020

【AI超え】流行語大賞2020の隠れた真実とは!?

11月5日に流行語大賞のノミネート語に「AI超え」がありましたね。

将棋の棋聖戦第2局で藤井聡太が考慮時間23分で指した一手は、AIが6億手を読んで導いた最善手(局面において最も良い指し手)だったと話題になった。

将棋の棋聖戦第4局で藤井聡太七段が渡辺明三冠に勝ち、棋聖のタイトルを奪取し、最年少タイトル記録(17歳11ヶ月)を更新した。藤井新棋聖は王位戦にも挑戦中であり、一気に二冠が見えてきた。王位も奪取すれば、もちろん史上最年少二冠である。

そんな藤井新棋聖はマスメディアの報道などで「AI超えの棋士」と評価される。この表現が間違っていると共に、私は藤井新棋聖に対してむしろ失礼な評価であると考えている。そのことを説明したい。

まず前提として、現代の最新のAI(コンピュータソフト)は人間とは次元の異なる強さの領域にいる。人間のトップ棋士(もちろん藤井新棋聖も含む)が1000回戦って1回勝てるかどうかというレベルである。AIは強さでは人間を遙かに圧倒しており、「AI超えの棋士」という評価は事実として間違っている。

AIはコンピュータの特性を生かして、膨大な評価関数で局面を数値的に判断しながら、網羅的に奥深くまで手を読んでいく。そのブルドーザー的な読み方は人間には真似できない。一方、人間はAIとは異なる思考法(経験に裏付けられた直感によりある程度候補手を絞った上で深く先まで読む)を持っている。なので、部分的局面では人間の方が優れていることがある。

例えば、ある特定の局面を絞って深く先まで読むような場合だ。5年前の将棋電王戦(人間 VS AIのハンデなし対局)で、先日挑戦者決定戦で藤井新棋聖に敗れた永瀬拓矢二冠(当時六段)は、selene というコンピュータソフト相手に勝利している(*1)。このとき永瀬六段が自身は勝勢と判断した局面で、逆に selene 側も自身が勝勢であると読んでいた。だが時間をかけて読むと、selene は自身が敗勢であると評価し直したのだ。人間側の評価が正しかったのだ。

藤井新棋聖の指す手が時々「AI超えの手」と言われるが、上記の例のように、コンピュータの網羅的な読みが追いつかず評価値が一時的に低く見えてしまうことがある。人間が直感的に指した手が、AIにとっては時間をかけないと読めない場合もある。人間の直感の力はすごいのだ。だが、それはあくまで部分的な局面の話であって、これを取り上げて「AI超えの手」と評価することに意味があるとは思えない。一局を通じて戦えば、冒頭で書いたように人間は現代のAIにまず勝つことはできないだろう。

藤井新棋聖が強いのは確かだが、それはAIを超えているからすごいのではない。彼の持つ将棋の読みの力や直感力がすごいのだ。AIを超えているからすごいというのは、私は藤井新棋聖に対して失礼だと思う。

私は「AI超えの棋士」という言葉の裏に、「何が何でも人間はAIを超えなければ存在価値がない」というメッセージを読み取る。でもそれは逆だ。人間同士の将棋は今のところ価値を失っていないし、人間同士のドラマや感動を体験できる希有なコンテンツである。まさにそういったドラマや感動を今リアルタイムで提供してくれている代表的な棋士が藤井新棋聖だと思う。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。